この5日間の中で、キャニーの存在の大きさを、感じている。盲導犬(キャニー)が来て、餌やり、手入れ、糞尿の始末、そして、思うように歩けなかった事等々、今でも苦労をしているがいざ手元を離れルことにより、なぜこんなに不住をしているのだろうと言うことを、先日、東京のAさんに話した。Aさん、「それは、キャニーが来て普通の生活に戻ったからだよ。」「普通の生活?」「そう、見えている時の。行きたい時に出かけられ、外食したい時に食べに出れる。自分の好きな時に。」「そうかぁ、普通の生活、忘れていました。」
そうなんです。もう何年も、自分一人で、今行きたい、今食べに行きたい、喫茶店で、コーヒーを飲みたい、等々、何もできなかった。いや、やろうとしなかった。誰か遊びにきた日とか、時間が空いた知人に一緒に行ってもらうかしかなかった。これが普通の生活になっていたんだなぁ。
Aさんの話を聞いて、「普通」の大事さを改めて感じた。そう言えば、市のボランティアフォーラムに行った時に「キャニーが来て、何が一番うれしかったですか?」と言う質問に、「食堂に行って、出来立てのラーメンを食べられたことです。と、答えたことを思い出した。そうなんだょなぁ。気がつかなかった。この「普通」の生活。またキャニーの存在が大きくなってきた。ゆっくり、でも、少しでも早く戻ってきてクレー。
」